いいか。

もうええねん。


こんなん見てももう腹たたへん。
「どこに穴あけとんねん」ってそりゃ思うけども
まあええわ。そういうのもうええわ。たくさん見てきたわ。

いやちょいまて。

全然、目新しないわ!たくさん見てきたって今いうたやろが!
ていうかノベルティの意味間違って訳しとるわ!ぐぐれ!

それからこいつ

ぴかぴかさせるのは結構やけどさ、幸せそうな笑顔で大いに結構やけどさ。
あの・・肝心の数字がみにくくない?見る側に何か負担を求めてへん?
ていうか、そういうあれだって気がつくのにちょっと時間かからへん?その間、致命的ちゃう?
あと、ずっとピカピカさせとくの?ピカピカ消すのどのタイミングなの?結構難しくない?
その笑顔が曇らへんか心配やわ。

もうそんなんするぐらいやったらさ。

こんなんでええんちゃう?
もはや眼鏡でやる意味なくなってる気がするけど
実際は最初からやる意味なんてないんやし、
もうここまでいけば清々しいやん。

最後にこいつ。

いいか。嘘を付くな。
「2013年が難しいなら20103年にすればいいじゃん!」
お前の都合で年を変えるな
「左の○は数字の0なんですけど、右の○は特に意味ないんで見逃してください」
左右同じ形にしといて無理ゆうな

ていうか3の位置もバランスおかしいやろ。
!の場所に置いときゃよかったやろ。どうして!なんか追加したんや。
ていうか!つけるなら「2o13!」みたいな形にすれば別に穴2つバランスとれたやろ

あ、あとディスニー様による商品の存在も確認しましたが、
権利の都合上、コメントを差し控えさせて頂きます。
ご了承ください。
http://spoonful.com/printables/mickey-minnies-new-year-celebration-glasses

明日はれたらいい(半実仮想自動書記)

思い返せば僕は昔から青い物が好きだった。青い空、青い海。昔の僕がDQ派じゃなくてFF派だったのは、実際のところそんな点が大きいのだと思う。DQの赤はレンガの赤。レンガなんてその辺に転がってる環境に育ったぼくは、いまいちレンガに浪漫を感じられず、レンガを象徴する赤もたいへん凡庸に映った。いや別にFFにレンガが出て来なかったかというと、そんなこともないのかもしれない。が、とにかく僕にFF=赤のイメージはない。だってFFといえば何といってもクリスタルだ。クリスタルという言葉はFFでしった。後にクリスタル=水晶だと知り、水晶=占いの人が使う謎のたま(多分当時の僕の頭にあったのはドラゴンボールの占いおばば)、さらにクォーツ時計というものには水晶が使われていると知り、それが日常的に使われるものだと知って驚愕したものだ。クオーツという聞きなれないが響きのよいイカした横文字と、あのFFのクリスタル(=占いおばばの水晶)と、時間を測る便利で日常的な道具の組み合わせは子供にはとても想像できないものであった。というか、未だに想像できてないれども。だってクリスタルだよ?水晶が振動を利用して時を測る?FFでクリスタルが揺れ出したら、とにかく洞窟から逃げた方がいいと思う。さもなければ、きっと誰も生き残れはしない。それはともかく、FFといえば青だった。僕はあまりゲームをしない子供だった。というかあまりさせてもらえなかった。そもそもソフトを持っていない。家族の誰かのものは自分のではない。アクションゲームならやらせてもらえる可能性はあっても、RPGのようにセーブスロットを使うものは駄目だ。家族がプレイしたデータをロードしてプレイしてみたこともあるけれどもストーリーは全然わからず、がむしゃらに動いてなんとか進んだりして、だけど結局セーブはしちゃだめなので、またロードして違うことして……。後は友達から聞いた裏技試したり。バニシュ+デスとか。まあ、それはそれで面白かったような気がするけれども。じゃなきゃやらないよね。そんなこんななので、僕は昔のRPGのゲームのストーリーに関する記憶は殆どない。たまに家族がプレイするのを見る事もあるが、いつも見ているわけではないので、ストーリーは断片だけ。せいぜいキャラの特徴が見えるぐらい。まあ昔のキャラは特徴シンプルで分かりやすかったからね。あとは世界観と色。そんな自分がニコニコのプレイ動画に歓喜したのは言うまでもない。ほんとうに僕は何も分かってなかったのだと思い知らされた。マザー2とかね。といいつつ、またストーリー忘れてるけど……。そんな自分にとってプレイヤーの声は邪魔であり、実況動画は邪道だと思っていた。もちろん今ではそうは思ってはいないが、プレイ動画を見るときとはやっぱり別の感じで見ている。プレイ動画は(もちろん動画によるのだろうが)、ただの観客にすぎない自分がプレイしているような気分になれる。プレイ動画だと感情移入の対象がキャラクターに向かうけど、実況動画だと感情移入の対象が実況者に向かう、というか。「好きなゲームは何か」とかいわれても、ちょっと困ってしまうぐらいゲーム経験がしょぼい。まずは昔見たけど自分はやらしてもらえなかったゲーム、やらしてもらったけど最後までできなかったゲーム、家になかったけど友達がやってたゲーム、とにかく噂で聞いて欲しかったゲームのプレイ動画を見ることで「プレイ」していると、その時に自分が感じた感想を共有したい、あるいは違う人の感想を聞きたい、という気持ちがでてきて、実況動画を見始めたのだと思う。実況動画視聴者には、自分が好きなゲームの実況を見る人と、自分の好きな実況者の動画を見る人がいると思う。自分ははじめは前者であった。別に実況者に才能なんか求めていなかったし、そういうものがあるということも想定していなかった。実際、再生数の少ない動画も結構見ていたと思う。同じゲームの実況の動画が複数あったときは、単に実況者の声やキャラクターを基準に選んでいた。ある時期から、実況という物が一つのコンテンツ足りえるのだと思うようになった。だいたい、ルーツ氏とすぎる氏の動画を見てからだと思う。(すでに御二方とっくに有名ではあったのだが)。それ以降は実況者を基準に動画を見る事が増え、プレイした事のないゲームの実況動画を見る事も増えた。感動の純度は下がるのだけれども、実況者のリアクションやある種の芸やゲームの場の共有の感覚などを考慮にいれると、トータルではそちらの方が楽しいと思える事が多くなってきたからだ。はてさて、最近はさっぱり見なくなった実況の話になぜなったのか。もっと青い話をしたかったのに。子供の頃は黄色が好きっていったけど。そんなに好きじゃなかったけど。たしか、ほんとうに幼い頃に「何色が好き?」って聞かれて、でもべつになんでもよかったんだけど、なんとなくそこで「黄色」って答えて「何で?」って聞かれて、やっぱり理由もなかったんだけど「お星様が黄色」だから、とか言ったのがきっかけ。絵本やらなんやら読まされ、さらに星はいいものと思いこまされている子供が、黄色と星を結びつけてるのは、たいして不思議な事ではない。僕は、それから「何色が好き」と聞かれるたぶに、間髪いれずに「好きな色は黄色で、理由は星だから」と答えるようになった。ほんとうは理由は後付けなのに。いつのまにか、自分の中でそうでなくなっていた。子供なりに一貫性を保とうとしたのかもしれない。でも本当は青が好きだった。青いものに神秘を感じた、青いものに宇宙を感じた。青いものは憧れだった。でも手に入れてしまった青はだめだった。青色のペンケース(だったか?)を持っていた。これはすごくださく感じた。手元にある青だった。青は「どこか遠くへ」、あるいは「はるか高くに」、あるいは「どこまでも広々と」、あるいは「どこか超然と」していなければならなかった。今でも心のどこかでそう思っている。

ミレニアムメガネの10年

2000年問題

昔のコンピュータは現在の物とは比べようも無い程貧弱だった。そこでは節約は美であった。かつては無視できない程多くのソフトウェアが西暦のデータを内部的に下2桁で扱っていたため、西暦が2000年になると、コンピュータにとっては1900年になったのと区別が付かず何らかの問題を引き起こしかねない…と考えられていた。いわゆる2000年問題(Y2K problem)である。それは一部の人の間では世界の終末シナリオのように語られていたが、事前の改修・置換等の取り組みの甲斐もあってか大きな社会的な混乱に至るような事故は発生せずにすんだ。つまり、2000年の訪れとともに、2000年問題は去ったのだ。しかし、この2000年の到来は、全く種類の異なる別の業界に西暦に纏わる新たな問題を受胎させていた。

ミレニアムメガネ

2000年は下3桁が0で並ぶ特別な年である。もちろん西暦なんて人が決めた物差しに過ぎない。が、人は数字の並びに意味を感じる事ができる畏らく地球唯一の生物である。また「1000年に1度の出来事」という希少性の感覚は人を昂らせるものである。かくして2000年到来は一種のお祭り事となった。*1
祭りがあれば商う物あり。2000という数字をあしらった様々なグッズが開発され、祝い品として売れに売れた。その中で一際異彩を放ちながら、しかも人気を博したのがミレニアムメガネ(又ミレニアムサングラス)である。2000という数字の真ん中二つを眼鏡として見立てたこの商品はコンセプト、その分かりやすさ、馬鹿馬鹿しさがウケ、たちまち大ヒット商品となった。ここにミレニアムメガネ業界は生を受けたのである。


延命する業界

当初、ミレニアムメガネはその年限りのガジェットだと思われていた。そして事実、市場は大幅に縮小した――ミレニアム特需は去ったのだ。しかし、それでも尚ミレニアムメガネは絶滅しなかった。その理由はまず第一にミレニアムメガネ自体のコンセンプトの良さにあるのだろう。しかしコンセプトは良かったが売り場から消えた商品など、それこそ山のように存在する。鍵は何が市場を回転させるかだ。それは、ミレニアムメガネが一度勝ち得た知名度を再利用し続けたい業界の欲望と、ミレニアムメガネで娘の笑顔が観られた思い出にすがりつく父親達の執着の共犯関係だった。そして真ん中に2つ○が空いてさえいれば、メガネを作り続ける事は出来る……たとえ2000年で無かろうとも。

その性質上、ミレニアムメガネの消費期限は1年間であり、調子乗りのお父さんも「毎回鼻メガネを新しく買うのは 勿体無いのでやめてほしい *2」と娘に不平をこぼされる心配もない。定期的な買い替え需要は当然業界にとっても都合が良い。業界の目標はミレニアムメガネの伝統行事化だった。クリスマスには家族で七面鳥を食べるように、バレンタインデーには好きな人にチョコを贈るように、新年には親子がミレニアムメガネをかけて笑い合う。そんなミレニアムメガネの千年王国を夢見て、業界は毎年新たなメガネを製造し続けたのだった。


2010年問題

しかし、その夢は原理的に叶わない。西暦の「真ん中に2つ○が空いて」いる状況は長くは続かない。下一桁が繰り上がり2010年になった途端、この業界の需要は理論的には消失する。
そこでミレニアムメガネ業界は議論の末、全世界に向かって次のように呼びかけた。「情報社会に対応するため西暦を16進数に!」。世間の人々はあまりにも突飛な意見だと感じたため、これを単に無視したが、この発想は普段から16進数に馴染みのある一部技術者の支持を取り付けることに成功した。彼らも又、かつて西暦に惑わされた人達であった。*3 が、ミレニアム業界側の話を詳しく聞いてみるとどうもおかしい。要するに彼らは2010年を200Aと表記すべきだと主張していたのだった。しかし本来、10進数表記での2010は16進数表記では7DAになるはずである。つまり彼等の主張は下一桁だけを16進数化しろ、という事だったのである。それもそのはずだ。7DAではミレニアムメガネは作れないだろう。この事実が周知された結果、16進数化を支持していた技術者は、翻って最も積極的な反対運動家となった。技術者はこのような一貫性の無さを嫌うのである。結局ミレニアムメガネ業界は2010年の到来を食い止める事は出来無かった。

祭の後(2010年〜)

そして、ついに今年は西暦2010年、試合終了のホイッスルがなった。かくしてミレニアムメガネ業界は事実上の終焉を迎える。来るべきときが来たのだ。しかし、まだミレニアムメガネを作っているゾンビのような業者達もいる。
例えば次の画像を見てみて欲しい
*4
1に穴を空けるという強引な手法だ。ここでは「見立て」が崩壊している。
さて、次の画像を見てみよう
*5
無駄な工夫をしていないという点では素直だが、1のせいで左目の視界が遮られている。これは最早眼鏡ではない。"Not practical"(実用的ではない)のキャプションが哀愁を誘う。
更に次の画像を見てみよう。
*6
ちなみに、これの!が無いバージョンもあったのだが、それと比べると左右のバランスは取れててよい。3桁目ではく4桁目の0を使っており「見立て」も維持されている、いままで挙げた中で唯一 "practical"(実用的) だと言って良いだろう。しかし、この技法は来年以降は使えない。最後の悪足掻きといったところだ。
これら2010メガネのバリエーションは、むしろその限界を露呈させている。いずれにしろ遅かれ早かれ、これらゾンビメガネ達ですら市場から退場する羽目になるのは今や自明である。かのような元々のコンセプトを台無しにして晩節を汚すような振舞いは見ていて辛いものがある。
むろん彼らは知っていたはずだ。この現象が仮初めにすぎない事を。そう、最初から知っていたはずなのだ。
しかし、それは屈折した共犯関係によって延命されてしまった。それが幻想を見せてしまった。終わりなき祭を。
つまり、この業界にとっては、この10年こそが祭のような物だったのだ。
祭を祭として成立させるためにはハレとケの区別を付けなくてはならない。
むろん祭の後は悲しいものだ。それでも祭をしっかりと終わらせなければならない。
さぁ、夜店を片づけよう。人類が次のミレニアムー3000年を心から祭り上げられるように。



(copyright izumirr http://twitter.com/izumirr thanks!! thanks!! )

Introducing Google Chrome Frame 適当訳

本日、我々がリリースするのはGoogle Chrome Frameの初期版です。これはHTML5や他のオープンなウェブ技術をIEにもたらすオープンソースプラグインです。
我々はウェブ開発者が、Google Waveのような早くてリッチなアプリケーションを公開できるのをお手伝いすべくGoogle Chrome Frameを開発しております。最近のJavascriptのパフォーマンスの向上とHTML5の登場はウェブアプリケーションが、かつてはデスクトップアプリケーションでしかできなかったような事を可能としました。しかし、このような新しい技術を使っている開発者が直面する課題があります。それは、これらの技術がIEではサポートされていない事です。開発者はIEを無視する余裕はありません。殆どの人々がIEのなんらかのバージョンを使っているのです。その結果、回避策を実装するのに多くの時間を費すか、あるいはアプリケーションの機能を制限するのです。

Google Chrome Frameがあれば、開発者は今や最新のオープンなウェブテクノロジーIEの中ですら活用できます。高速なJavaScriptエンジンから、現行のウェブテクノロジー(HTML5のオフライン対応や、モダンなCSS/Layout操作)まで。Google Chrome FrameはIEにおいて、追加のコーディングや異なるブラウザバージョンでのテストをする必要なく、これらの機能を可能にします。

Google Chrome Frameを使い始めるのに全ての開発者がしなければならない事は、ただ一つsingle tagを付けくわえるだけです。

<meta http-equiv="X-UA-Compatible" content="chrome=1">

Google Chrome Frameがこのタグを認識すると、自動的にレンダリングエンジンをGoogle Chromeの高速なWebkitに切り換えます。こんなに簡単なのです。ユーザーにとっては、Google Chrome Frameをインストールすることはモダンなウェブアプリケーションを燃え上がるような速度で楽しむ事がシームレスにできます。
私達はGoogle Chrome Frameが、ウェブ開発者だけでなくユーザーの生活もより楽にすると信じています。まだ、これは開発者に向けた初期版ですが、我々のチームは貴方のサイトでご利用を試してみることを提案します。ドキュメントを読む事から始められます。あなたのフィードバックをディスカッショングループで共有し、貴方が見つけたバグをChronmium issue trackerに登録してください。

http://blog.chromium.org/2009/09/introducing-google-chrome-frame.html