ミレニアムメガネの10年

2000年問題

昔のコンピュータは現在の物とは比べようも無い程貧弱だった。そこでは節約は美であった。かつては無視できない程多くのソフトウェアが西暦のデータを内部的に下2桁で扱っていたため、西暦が2000年になると、コンピュータにとっては1900年になったのと区別が付かず何らかの問題を引き起こしかねない…と考えられていた。いわゆる2000年問題(Y2K problem)である。それは一部の人の間では世界の終末シナリオのように語られていたが、事前の改修・置換等の取り組みの甲斐もあってか大きな社会的な混乱に至るような事故は発生せずにすんだ。つまり、2000年の訪れとともに、2000年問題は去ったのだ。しかし、この2000年の到来は、全く種類の異なる別の業界に西暦に纏わる新たな問題を受胎させていた。

ミレニアムメガネ

2000年は下3桁が0で並ぶ特別な年である。もちろん西暦なんて人が決めた物差しに過ぎない。が、人は数字の並びに意味を感じる事ができる畏らく地球唯一の生物である。また「1000年に1度の出来事」という希少性の感覚は人を昂らせるものである。かくして2000年到来は一種のお祭り事となった。*1
祭りがあれば商う物あり。2000という数字をあしらった様々なグッズが開発され、祝い品として売れに売れた。その中で一際異彩を放ちながら、しかも人気を博したのがミレニアムメガネ(又ミレニアムサングラス)である。2000という数字の真ん中二つを眼鏡として見立てたこの商品はコンセプト、その分かりやすさ、馬鹿馬鹿しさがウケ、たちまち大ヒット商品となった。ここにミレニアムメガネ業界は生を受けたのである。


延命する業界

当初、ミレニアムメガネはその年限りのガジェットだと思われていた。そして事実、市場は大幅に縮小した――ミレニアム特需は去ったのだ。しかし、それでも尚ミレニアムメガネは絶滅しなかった。その理由はまず第一にミレニアムメガネ自体のコンセンプトの良さにあるのだろう。しかしコンセプトは良かったが売り場から消えた商品など、それこそ山のように存在する。鍵は何が市場を回転させるかだ。それは、ミレニアムメガネが一度勝ち得た知名度を再利用し続けたい業界の欲望と、ミレニアムメガネで娘の笑顔が観られた思い出にすがりつく父親達の執着の共犯関係だった。そして真ん中に2つ○が空いてさえいれば、メガネを作り続ける事は出来る……たとえ2000年で無かろうとも。

その性質上、ミレニアムメガネの消費期限は1年間であり、調子乗りのお父さんも「毎回鼻メガネを新しく買うのは 勿体無いのでやめてほしい *2」と娘に不平をこぼされる心配もない。定期的な買い替え需要は当然業界にとっても都合が良い。業界の目標はミレニアムメガネの伝統行事化だった。クリスマスには家族で七面鳥を食べるように、バレンタインデーには好きな人にチョコを贈るように、新年には親子がミレニアムメガネをかけて笑い合う。そんなミレニアムメガネの千年王国を夢見て、業界は毎年新たなメガネを製造し続けたのだった。


2010年問題

しかし、その夢は原理的に叶わない。西暦の「真ん中に2つ○が空いて」いる状況は長くは続かない。下一桁が繰り上がり2010年になった途端、この業界の需要は理論的には消失する。
そこでミレニアムメガネ業界は議論の末、全世界に向かって次のように呼びかけた。「情報社会に対応するため西暦を16進数に!」。世間の人々はあまりにも突飛な意見だと感じたため、これを単に無視したが、この発想は普段から16進数に馴染みのある一部技術者の支持を取り付けることに成功した。彼らも又、かつて西暦に惑わされた人達であった。*3 が、ミレニアム業界側の話を詳しく聞いてみるとどうもおかしい。要するに彼らは2010年を200Aと表記すべきだと主張していたのだった。しかし本来、10進数表記での2010は16進数表記では7DAになるはずである。つまり彼等の主張は下一桁だけを16進数化しろ、という事だったのである。それもそのはずだ。7DAではミレニアムメガネは作れないだろう。この事実が周知された結果、16進数化を支持していた技術者は、翻って最も積極的な反対運動家となった。技術者はこのような一貫性の無さを嫌うのである。結局ミレニアムメガネ業界は2010年の到来を食い止める事は出来無かった。

祭の後(2010年〜)

そして、ついに今年は西暦2010年、試合終了のホイッスルがなった。かくしてミレニアムメガネ業界は事実上の終焉を迎える。来るべきときが来たのだ。しかし、まだミレニアムメガネを作っているゾンビのような業者達もいる。
例えば次の画像を見てみて欲しい
*4
1に穴を空けるという強引な手法だ。ここでは「見立て」が崩壊している。
さて、次の画像を見てみよう
*5
無駄な工夫をしていないという点では素直だが、1のせいで左目の視界が遮られている。これは最早眼鏡ではない。"Not practical"(実用的ではない)のキャプションが哀愁を誘う。
更に次の画像を見てみよう。
*6
ちなみに、これの!が無いバージョンもあったのだが、それと比べると左右のバランスは取れててよい。3桁目ではく4桁目の0を使っており「見立て」も維持されている、いままで挙げた中で唯一 "practical"(実用的) だと言って良いだろう。しかし、この技法は来年以降は使えない。最後の悪足掻きといったところだ。
これら2010メガネのバリエーションは、むしろその限界を露呈させている。いずれにしろ遅かれ早かれ、これらゾンビメガネ達ですら市場から退場する羽目になるのは今や自明である。かのような元々のコンセプトを台無しにして晩節を汚すような振舞いは見ていて辛いものがある。
むろん彼らは知っていたはずだ。この現象が仮初めにすぎない事を。そう、最初から知っていたはずなのだ。
しかし、それは屈折した共犯関係によって延命されてしまった。それが幻想を見せてしまった。終わりなき祭を。
つまり、この業界にとっては、この10年こそが祭のような物だったのだ。
祭を祭として成立させるためにはハレとケの区別を付けなくてはならない。
むろん祭の後は悲しいものだ。それでも祭をしっかりと終わらせなければならない。
さぁ、夜店を片づけよう。人類が次のミレニアムー3000年を心から祭り上げられるように。



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