ゲームプレーワーキング (ちなみに全く寝ないでフラフラしながら書いています)

http://blog.japan.cnet.com/geetstate/archives/2006/09/1.html

過去に似たような事を考えたことがある。
(知能工学・インターフェイスWeb2.0ゲームデザインについて
学習していれば自然と思いつく事のようにも思われる。)
とはいえ、この概念は確かに説明がしにくい。
とりあえず思いつきで書いてみる。

前提

仕事には定型的な部分と非定型的な部分がある。
定型的な仕事は将来的にコンピュータによって容易に代替されるだろう。
非定型的な仕事も部分的には知能工学の力でコンピュータに代替されるかもしれない。
しかし全てが容易く代替されるようになるとは考えがたい。
知能工学では実現性が低い領域については、人間の力がなお必要となる。

人脳と電脳の作業分担

情報技術は電脳の能力を高め作業の自動化を推し進めるだけではない
人脳による仕事の欠片をかき集めて何らかの価値を創出する事が出来るアーキテクチャーが出現してきた。
Pagerank,モデレーションシステム,相互レビュー,folksonomyによるtagging,人力検索,予測市場,Amazon Mechanical Turk・・)
これを『知識のロングテール』だと呼ぶと「べき乗則を満たしていないからロングテールじゃない」
と怒られそうだし『群衆の叡智』だと呼ぶと「四つの原則を本当に満たしているのか」と聴かれそうなので、知の元気玉という例の表現を使っておく。

補助線(現状で可能な事)

エログリッドコンピューティング(miyagawa@six apartさん命名)

http://www.asahi-net.or.jp/~AE5T-KSN/d/200311.html#07-03
CAPTCHAとは、コンピュータと人間を識別するチューリングテストである。
SPAM BOTやPHASERのような人間以外から攻撃的アクセスを排除するために使われている。
CAPTCHAシステムには様々な実装が考えられる(プログラムには困難だが人間には簡単な事であればよい)が、最も広く受け入れられている実装は「画像認証」と呼ばれるタイプである。
これは変形した文字列を埋め込んだ画像を生成し表示し、その文字列を入力させることによって認証を行う。

URL先で紹介されているのは、CAPTCHAシステムを突破するために、他人の力を少しづつ借りる方法である。
例えば、ポルノ映像を賞品として「攻撃先のサイトのCAPTCHAによって生成された文字列」を
クイズとして出題するウェブゲームを開発し、不特定多数にアクセスして貰えばよい。
こういう「人間にしか出来ないことは人間にやらせればいい」という発想はCAPTCHAへの
対抗策としては興味深いが「人と機械の分業」そのものはfolksonomy人力検索
似たようなものであり、珍しいものではない。
ここで重要なのは、プレイヤーが、自分の行為を「CAPTCHAを突破して何処かのサイトを攻撃することに手を貸している」と自覚していない事である。
エログリッドコンピューティングという名称も興味深い。
信頼性と効率のバランスにグリッドコンピューティングの知見が使えそうな匂いがする。

Google Image Labeler

http://images.google.com/imagelabeler/
画像へのラベリングにゲームプレイを利用するシステム。
プレイヤーは画像へのラベルを入力する。
他のプレイヤーと同じラベルが入力できるとポイントが貰える。
それぞれのプレイヤーは共通概念としてのラベルを模索することになるので、ゲーム結果の品質も高くなる。
これはつまるところ、folksonomyをゲームに持ち込んだものである。
(これ、その気になれば言語間のシソーラスだって作れてしまう。
コーパスを言語別に収集しておいて、ある画像に対する、それぞれの言語のラベリングを結合すればよい。)
ゲーム性と、そのゲームによって得られる成果の品質が強く結びついている、という点が興味深い。(CAPTCHAの文字列を延々と入力するより明らかに楽しい。)

Massively Parallel Human ComputingあるいはArtificial Artificial Intelligenceが「マイクロ・ワーク」を生む、という話

http://www.h-yamaguchi.net/2006/07/massively_paral_3263.html
この記事の内容は「ゲームのためのゲーム」としての労働だが、山口浩氏が予測市場の研究者であることを考えると、本当はもう少し射程が広いのでは無いかと妄想している。
(少なくともMassively Parallel Human ComputingやArtificial Artificial Intelligenceという概念の射程はもっと広いはず。)
「ゲーム内の活動で実際の対価を得られるゲームシステム」という点に興味を感じる。

問題と問題のマッピング

定式化することによって等価になる問題が存在する。
問題aと問題bがあり、その二つの問題が、ある問題sに帰結できるとき、問題aの解答と問題bの解答をマッピングすることが出来る。
つまり、問題aに解答すれば、同時に問題bの解答も決定する。
「ゲームとしての問題a」と「仕事としての問題b」が用意できれば、ゲームプレイワークは成立しうる。

問題の等価性とマッピングについて思いつく例をあげてみる。
(以下に述べる例は、実際には機械で解いた方が早いが、それは問題としない。)

例1)数独の場合ー定式化と等価性の説明
・ある数独の問題から、別の数独の問題を自動的に生成できる。
これには、いろいろな方法があるが、単純に問題文の数字を置き換えればよい
1定式化すると等価になる。

 例) tr/123456789/374519826/ (trはPerl Likeな文字置き換えとする)
・数字1-9を、文字A-Iに変えても、あるいは9個のアイコンに変えても、定式化すると等価になる。


例2)川渡り問題 ー「装飾」と等価性の説明
可能状態の制限に従って川渡りを成功させる伝統的ゲーム
・羊、狼、キャベツ
・宣教師と人食い人種
・父親、母親、娘、息子
など様々な亜種がある。
これらは、いずれも違ったストーリーがあり、
様々な脚色がされているが、定式化によってそのような装飾ははがされ
同じ問題の系になる。
(どうでもいいが、私はここで、プログラミングにおけるシンタックスシュガーという言葉を想起する)


例3)巡回セールスパーソン問題の場合ー具体例?の説明
巡回セールスパーソン問題はNP困難のクラスに属する最適化問題であり
最適会を求めるのが困難であり近似解しか求められない。

巡回セールスパーソン問題の検索中に次のような掲示板上の書き込みを見つけた

http://febmarch.pobox.ne.jp/yydiary/yyview.cgi
>巡回サラリーマン問題を解くのに、1億人のサラリーマンを実際に歩かせ
>て、いちばん早く帰ってきたサラリーマンに給料を払うシステムのことを
>コンピューターシステムと呼んでいいかどうか、

「1億人」や「実際に歩かせて」という表現には現実味がない。
しかし1億人というのは困難にしても、世界で数百万本売れるゲームがある。
似たような事はフィクション上のゲーム上でなら実現可能かもしれない。
これは「Massively Parallel Human Computing」による「マイクロワーク」の話じゃないか。

上にあげた例は、いずれも素朴なマッピングであるので、プレイヤーが、自分が何をやらされているのかを、理解してしまう可能性がある。
しかし、実際にはマッピングはいかようにも隠蔽可能である。
例えば数独の問題は、データ構造をテーブルから(9*9のノードの)グラフに変換する事が出来る。
(注:生成された新問題にゲーム性があるかどうかは別問題とする。)

プログラマーなら「同じ構造の問題」の異なる表現には慣れているので理解可能な範囲だと思われる。(例,NANDゲートの組み合わせ、λカリキュラス、チューリング完全|機械語,アセンブリ,高級言語圏論の専門家なら更に容易な事だろう。
(注:単なるHaskellユーザーの僻み)
データモデリングの選択やアルゴリズムの選択においてプログラムには数多くのバリエーションが存在しうるが、そのプログラムが
解こうとしている問題まで変わるわけでは無い。

人間が機械より得意な分野は何か

概念的には

とか?

CAPTCHAGoogle Image Labelerの例は主に認知の分野ですね。

人間の方が強いゲームとしてよく上げられるのは
・将棋
・碁

さて価値を生むような問題にマッピング可能なゲームはどれだけあるのか。
それはつまり人間の認知や思考や言語はどの程度まで抽象化可能なのかという話でもある。
(そもそも、仕事がゲーム化し娯楽になった将来において何が価値を持ち、
どのような仕事が求められているのか。)

快楽と自由

「ゲームプレイワーク」「心調整剤」というキーワードと「脳に像を直接映す事は可能である」「脳で念じれば操作できるインターフェイスがある」という現状認識は様々な妄想を喚起する。
例えば、厳密なゲームデザインなんて深く考えなくても心調節剤やあるいは脳の「報酬系」への直接刺激によって快楽を引き起こすことが出来れば動機と満足の回路を形成できるんじゃないか。
「合理的な行為」や「社会的な行為」に対するビッグイットの評価と快楽の発生を条件付けるように設定できれば、非合理的な行為や反社会的な行為の制限が可能になるんじゃないか。
池谷裕二「進化しすぎた脳」に出てくる「リモコンネズミ」は、脳の報酬系の直接制御によって、ネズミの歩行を完全にリモートコントロールする実験であった。しかしネズミは自分がコントロールされている事すら意識しておらず、ただ快楽が起こる方向に自分の意志で進んでいると思っているはずである。
はたして快楽の完全制御は人間に自由をもたらすのだろうか?

FPS(ヘッドショット)を利用した写真の頭の位置のポインティング

ゲームを開始すると次々と人物の写った写真が表示される。
プレイヤーは、その人物の頭を、コントローラを操作して銃で打ちぬいていく。
プログラムは、どこに頭があるのか判定できないとする。(実際は大抵出来る)
しかし、複数のプレイヤーが同じ写真の近接する位置を打ち抜いたとき、そこに頭があると推定できる。
それでポイントが計算出来る。(要するにGoogle Image Labelerと同じ様な仕組み。)
その副産物である「頭位置情報」を使って写真内の人数を推定したり、他の画像解析に役立たせる事が出来る。

相互監視セキュリティのゲーム的実装(イメージ以前)

  • 全ての人間に位置情報報告デバイスを埋め込む→空間を歪めたゲーム上マップにアサイ
  • 相互評価により人間に危険度が設定される→UltimaOnlineの青ネーム赤ネーム
  • 心調整剤はネットワークに繋がれておりビッグイットの民主的決定によって心理状態を遠隔制御出来る。

(ちなみに、「ネットワークからコンテンツを引きはがす事」だけでなく「ネットワークから自分を引きはがす事」も犯罪になる」)