明日はれたらいい(半実仮想自動書記)

思い返せば僕は昔から青い物が好きだった。青い空、青い海。昔の僕がDQ派じゃなくてFF派だったのは、実際のところそんな点が大きいのだと思う。DQの赤はレンガの赤。レンガなんてその辺に転がってる環境に育ったぼくは、いまいちレンガに浪漫を感じられず、レンガを象徴する赤もたいへん凡庸に映った。いや別にFFにレンガが出て来なかったかというと、そんなこともないのかもしれない。が、とにかく僕にFF=赤のイメージはない。だってFFといえば何といってもクリスタルだ。クリスタルという言葉はFFでしった。後にクリスタル=水晶だと知り、水晶=占いの人が使う謎のたま(多分当時の僕の頭にあったのはドラゴンボールの占いおばば)、さらにクォーツ時計というものには水晶が使われていると知り、それが日常的に使われるものだと知って驚愕したものだ。クオーツという聞きなれないが響きのよいイカした横文字と、あのFFのクリスタル(=占いおばばの水晶)と、時間を測る便利で日常的な道具の組み合わせは子供にはとても想像できないものであった。というか、未だに想像できてないれども。だってクリスタルだよ?水晶が振動を利用して時を測る?FFでクリスタルが揺れ出したら、とにかく洞窟から逃げた方がいいと思う。さもなければ、きっと誰も生き残れはしない。それはともかく、FFといえば青だった。僕はあまりゲームをしない子供だった。というかあまりさせてもらえなかった。そもそもソフトを持っていない。家族の誰かのものは自分のではない。アクションゲームならやらせてもらえる可能性はあっても、RPGのようにセーブスロットを使うものは駄目だ。家族がプレイしたデータをロードしてプレイしてみたこともあるけれどもストーリーは全然わからず、がむしゃらに動いてなんとか進んだりして、だけど結局セーブはしちゃだめなので、またロードして違うことして……。後は友達から聞いた裏技試したり。バニシュ+デスとか。まあ、それはそれで面白かったような気がするけれども。じゃなきゃやらないよね。そんなこんななので、僕は昔のRPGのゲームのストーリーに関する記憶は殆どない。たまに家族がプレイするのを見る事もあるが、いつも見ているわけではないので、ストーリーは断片だけ。せいぜいキャラの特徴が見えるぐらい。まあ昔のキャラは特徴シンプルで分かりやすかったからね。あとは世界観と色。そんな自分がニコニコのプレイ動画に歓喜したのは言うまでもない。ほんとうに僕は何も分かってなかったのだと思い知らされた。マザー2とかね。といいつつ、またストーリー忘れてるけど……。そんな自分にとってプレイヤーの声は邪魔であり、実況動画は邪道だと思っていた。もちろん今ではそうは思ってはいないが、プレイ動画を見るときとはやっぱり別の感じで見ている。プレイ動画は(もちろん動画によるのだろうが)、ただの観客にすぎない自分がプレイしているような気分になれる。プレイ動画だと感情移入の対象がキャラクターに向かうけど、実況動画だと感情移入の対象が実況者に向かう、というか。「好きなゲームは何か」とかいわれても、ちょっと困ってしまうぐらいゲーム経験がしょぼい。まずは昔見たけど自分はやらしてもらえなかったゲーム、やらしてもらったけど最後までできなかったゲーム、家になかったけど友達がやってたゲーム、とにかく噂で聞いて欲しかったゲームのプレイ動画を見ることで「プレイ」していると、その時に自分が感じた感想を共有したい、あるいは違う人の感想を聞きたい、という気持ちがでてきて、実況動画を見始めたのだと思う。実況動画視聴者には、自分が好きなゲームの実況を見る人と、自分の好きな実況者の動画を見る人がいると思う。自分ははじめは前者であった。別に実況者に才能なんか求めていなかったし、そういうものがあるということも想定していなかった。実際、再生数の少ない動画も結構見ていたと思う。同じゲームの実況の動画が複数あったときは、単に実況者の声やキャラクターを基準に選んでいた。ある時期から、実況という物が一つのコンテンツ足りえるのだと思うようになった。だいたい、ルーツ氏とすぎる氏の動画を見てからだと思う。(すでに御二方とっくに有名ではあったのだが)。それ以降は実況者を基準に動画を見る事が増え、プレイした事のないゲームの実況動画を見る事も増えた。感動の純度は下がるのだけれども、実況者のリアクションやある種の芸やゲームの場の共有の感覚などを考慮にいれると、トータルではそちらの方が楽しいと思える事が多くなってきたからだ。はてさて、最近はさっぱり見なくなった実況の話になぜなったのか。もっと青い話をしたかったのに。子供の頃は黄色が好きっていったけど。そんなに好きじゃなかったけど。たしか、ほんとうに幼い頃に「何色が好き?」って聞かれて、でもべつになんでもよかったんだけど、なんとなくそこで「黄色」って答えて「何で?」って聞かれて、やっぱり理由もなかったんだけど「お星様が黄色」だから、とか言ったのがきっかけ。絵本やらなんやら読まされ、さらに星はいいものと思いこまされている子供が、黄色と星を結びつけてるのは、たいして不思議な事ではない。僕は、それから「何色が好き」と聞かれるたぶに、間髪いれずに「好きな色は黄色で、理由は星だから」と答えるようになった。ほんとうは理由は後付けなのに。いつのまにか、自分の中でそうでなくなっていた。子供なりに一貫性を保とうとしたのかもしれない。でも本当は青が好きだった。青いものに神秘を感じた、青いものに宇宙を感じた。青いものは憧れだった。でも手に入れてしまった青はだめだった。青色のペンケース(だったか?)を持っていた。これはすごくださく感じた。手元にある青だった。青は「どこか遠くへ」、あるいは「はるか高くに」、あるいは「どこまでも広々と」、あるいは「どこか超然と」していなければならなかった。今でも心のどこかでそう思っている。